『ファブリカ』の扉絵(4)−王子は脳を損傷したのか
階段から落ちて頭部に怪我を負ったカルロス王子。その治療にアンドレアス・ヴェサリウスを始めとするスペイン王室医師団が当たることになりました。その治療とはどのようなものだったのでしょうか。一連の顚末を医師団の一人、ディオニシオ・ダーサが記録していました。
4月19日に事故に遭った後数日間は、王子に発熱はあったものの意識はあり、治療は瀉血や傷口への薬草の塗布程度でした。しかし容態は次第に悪化し、丹毒(蜂窩織炎)や震えが見られるようになり、その病状がマドリッドに伝えられます。
報せを受けてフェリペ2世とヴェサリウスが5月1日に現地に到着。譫言を言う王子を前に、医師たちの間で意見の対立が起きます。ヴェサリウスと、ポルトゲスという医師は、脳内に損傷があり、頭蓋骨の下の髄膜まで切開すべきと主張します。他の医師たちは、炎症は頭皮にあり、それが頭蓋骨の縫合線をすり抜けて髄膜に達しているのであって、髄膜の切開は必要ないと譲りません。
意見が対立したままの5月9日、王子は意識を失い、命の危険が迫ってきました。そこで医師団は頭蓋骨を削る(ruginate)ことに踏み切ります。当初はポルトゲス医師が行ったのですが、その場に立ち会っていたアルバ公(後にオランダのプロテスタント弾圧で有名)の命令でダーサ医師に交代します。彼の記録ではこのように記述されています。
頭蓋骨は白く、硬かった。その骨の多孔質の部分から真っ赤な血液が少量、噴き出してきたため、私は削るのを止めた。これで頭蓋骨内はもちろん、この部分に対応する内部組織にも損傷は起きていないことが明らかとなった。
少し分かりにくいのですが、もし頭蓋骨内が損傷していれば、血液はもっと濁っていたと考えたのかもしれません。ただ、ヴェサリウスとポルトゲスはあくまでも頭蓋骨内が損傷していると主張し続けたと記録されています。
その前後でも、治療現場は混乱を極めていたようです。偽医者がやってきて謎の膏薬を使うことを申し出て、やむなくやらせてみると症状が悪化したため追い返したとか、王子の回復を願って市民たちが病室にまで押しかけ、福者ディエゴ(当地で奇跡を起こしたとして知られる)のミイラを王子のベッドのそばに置いていったとか、さまざまなことが起こります。
5月9日に頭蓋骨を削ってからの治療は、ほぼ対症療法に限られたと言っていいでしょう。カッピング(皮膚に傷をつけ、そこに陰圧のコップを当てて血液を吸い取らせる)や頭部への湿布、小鼻を切開しての瀉血などが行われています。もはや打つ手がなく、医師から「疑いなく死が迫っている」と説明を受けた父フェリペ2世は、その日の夜、嵐の中をマドリッドへと帰っていきました。
しかし翌10日未明頃から王子は回復のきざしを見せ始めます。医師団は、眠り続けていた王子の脈が強くなり、譫言も減ってきたことに気づきます。病状はその後少しずつ回復に向かい、6月14日にはベッドから起き上がれるようになります。そして7月5日には街中へ闘牛観戦に出かけるほどになりました。
王子の治療に関して、ヴェサリウスの診断は結果的に間違っていたと言わざるを得ません。ただ、その他のスペイン人医師たちの判断が適切だったとは決して言えないようです。各国の大使らが本国に送った手紙などによると、彼らの知識は驚くほど低く、ラテン語を解しないためヴェサリウスとの論議も嚙み合わなかったと伝えられています。ダーサの記録も、対立していたヴェサリウスの功績をことさらに無視して作成された可能性があります。16世紀の医学では感染症の治療に限界があり、たまたま王子自身の治癒力で助かったということだと思います。
(原藤健紀)
2025年9月24日

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