『ファブリカ』の扉絵(3)−始まりはトーマス・マン

 突然ですが、トーマス・マンはお好きですか? 「テーマが古臭い」「文章が長くて読むのが辛い」という声が聞こえてきそうです。確かにその通りで、現代では読む人は少ないかもしれません。今回はそんなマンの小説から始めたいと思いますので、少し我慢してお付き合いください。

 マンの中編小説『トニオ・クレーゲル』の冒頭で、少年トニオ・クレーゲルが同級生のハンス・ハンゼンと、学校からの帰り道に次のような会話をする場面があります。

「僕はこのごろすばらしいものを読んだぜ、びっくりするような……」とトニオは言った。(中略)「ぜひ読んで見たまえ、ハンス君。シラーの『ドン・カルロス』だよ。……よければ貸すから。……」(中略)「その中にはね、噓じゃないよ、とってもいいところがあって、なんだか、こう、がんとやられるような物凄いところがあるんだ。……」

 がんとやられるって、どうして?と返すハンス。これにトニオは夢中になって答えます。例えば王様が、信頼していた侯爵に裏切られて泣くところさ、と。侯爵は王子様のためにやむを得ず王様をだますという筋立てで、王様が泣いたことが宮中に広まり、家来たちがみな驚く場面を語ります。

 「みんなはっとするんだ。なぜかって王様はとっても頑固な、きびしい人なんだから。けれど(中略)僕は侯爵と王子様を一緒にしたより王様のほうがずっとかわいそうだ。いつでも全然ひとりぼっちで、誰にも愛されない。そら、そこへやっと一人の人間を見つけたと思ったら、その人間に裏切られるんだからね。……」

(高橋義孝訳、新潮社版)

 シラーの戯曲『ドン・カルロス』は16世紀のスペイン王家が舞台です。主人公のカルロス王子は、継母となったエリザベト王妃が、元は自らの婚約者であったため、諦めきれない恋情に苦しみます。そして父フェリペ2世への反発からフランドル独立運動に傾倒し、最後は悲劇に至るという物語。このカルロス王子とエリザベト王妃を取り持とうと奔走するのが王子の友人ポーサ侯爵という設定です。後にベルディがこの戯曲からオペラ『ドン・カルロ』を作曲し、現代ではこちらのほうが馴染み深いかもしれません。

 史実を見ると、フェリペ2世は2番目の妻であるイングランドのメアリー1世が亡くなった後、1559年にフランスの14歳の王女エリザベト・ド・ヴァロアと結婚します。エリザベトはその前に同い年のカルロス王子と確かに婚約していました。しかし王家同士の婚姻ですから、婚約、結婚いずれも本人の意思とは関係ないでしょう。彼女の父はアンリ2世で、この結婚式の余興の馬上槍試合で目を負傷し、死亡しました。そう、前回触れたように、アンドレアス・ヴェサリウスとアンブロワーズ・パレが出会ったのがこの時でした。

 『ドン・カルロス』で情熱的な主人公として描かれたカルロス王子は、実際には精神的、肉体的に問題を抱えており、周囲からは将来スペインの王は務められないだろうと見られていたようです。そして1562年4月19日、16歳の王子に事故が起きます。場所はマドリッドの郊外アルカラ・デ・エナーレス。王子は四日熱マラリアの療養のため、この地の宮殿に逗留していました。昼過ぎに起きて2階の窓から外を見ると、日頃お気に入りの、世話係の少女が庭を歩いているのに気づきます。彼女をつかまえようと駆け降りたものの、階段を踏み外して転げ落ち、下の閉められていた扉に頭を強打してしまいます。

 この時の顚末はディオニシオ・ダーサという王室医師団の1人が詳しく記録していました。それによると、けがは「後頭部の、ラムダ縫合部に近い左側」であり、「傷口の大きさは親指の爪ほどで、その周縁は挫傷していた。頭蓋骨膜が剝き出しになっており、そこもいくらか挫傷しているように見えた」とあります。当初は王子に意識はあったものの、数日経つと意識が混濁するようになり、宮廷内は大騒ぎとなります。王子の容態を心配したフェリペ2世はヴェサリウスとともにマドリッドを発ち、現地へと向かいます。その時の治療の行方は次回。

(原藤健紀)

2025年9月10日

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